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意識の高い小学生は、そこいらの大学生より、よっぽど優秀だ
作成: 藤野 貴教 日時: 2011年9月13日 21:19

今日、電車の中でなかなかの刺激的な体験をした。

鶴舞線、上小田井に向かう電車で、

前に座った4名の制服の小学生(高学年)が読んでいる本

に僕は驚く。

一人はハリーポッター⇒うん小学生だね。

一人は日本地図 ⇒地図! でもまあ小学生だね。

一人は沢木耕太郎 深夜特急 ⇒なに~! まじか!!

そしてもう一人は、なんと講談社新書 ⇒「アイデアを盗む技術」という本。

ね、刺激的な体験でしょ?

でもね、これで終わらないのが、行動こそが価値を生んじゃうフジノくんの真骨頂なのです。

僕はおもむろに席を立ち、

「深夜特急」に声をかける。

「あのさ、ちょっと聞いていい?」

「はい」

「深夜特急第6巻、主人公はどこまでたどり着いた?」

「パリです」

「そうか、じゃあもうすぐゴールだね

ところで、なんで、深夜特急読んでるの?」

「母に勧められたんです」

「まじで?お母さんに?」

「はい」

「インドでさ、主人公が何日もアヘン窟に入り浸るじゃない?

あのあたりの話とか読んでわかったの?」

「同じ人が書いている小説で、××(書名)ってのがありますよね。

そこで同じことが書いてあったので大体わかりました」

「・・・そうなんだ」

(僕は沢木の××という本を知らなかった。)

「どう?面白い」

「はい」

「これ読むと旅に出たくなっちゃうよね。僕は大学の時に読んだよ」

「はい、もうすぐ終わっちゃうのがさみしいです」

おそらく彼のお母さんは、息子に「世界」を見て欲しいのだろう。

これこそグローバル教育なのかもしれない。

さて、もう一人。

「で、君はなんで新書読んでるの」

「塾の先生に勧められたんです」

「へー!で、どう?このアイデアを盗む技術って本、面白い?」

「まだ途中まで読んでませんが、まあ面白いです」

「この本はアイデアを盗み技術は何だって言ってるの?」

「アイデアを盗むには、自分が好奇心を持っていることが大事だ。

アイデア自体はそこら中に落ちている。大事なのは、落ちているアイデアに気づく自分自身の目だ、

と書いてありました。それが面白かったです」

どうよ、みなさん。

この本質のとらえ方。

すごいでしょ?

「なるほど、それはまさに本質だね。すごいな。

ところで君は何年生?」

「小学校6年生です」

「南山小学校って面白い?」

「はい、面白いです」

ようやく、ここでネタばらし。

彼らは南山小学校の6年生。

制服にNANZANって書いてある。

「きみたちはこの後南山中学校、高校っていくわけ?」

「はいそうですね」

「僕も中高一貫校だったから、6年友達と一緒だったよ。

すごい仲良くなった。

君たちは12年一緒だもんな、すごい仲良くなるだろね」

「いえ、僕たちは途中から転校してきたんです」

「え?どこから」

「普通の公立です。3年生からです」

「そうなんだ、あのさ、公立と南山、どう違う?」

みなさん、ここからの答えがすごいわけです。

驚いちゃってください。

「公立の小学校はみんなを同じ枠にはめる感じで、

なんだか息苦しかったです。

でも今のところは、それぞれが自由に、自分のやりたいこと

興味のあることを学べばいい、と言ってくれる。

自分の好きなことに熱中できる。それがとても楽しいんです。」

「なるほど、きみは今、何に熱中しているの?」

「そうですね、今僕は文章を読むことに熱中しています。

たとえば僕は算数の文章題とか苦手なんですけど、

それは国語が苦手だからかなと思っているんですが、

でも説明文とか難しい文章は得意なんです。

苦手なのは、詩とかそういう人の気持ちを読み取る文章で、

今、詩をどう読み解くかということに熱中しています」

どうですか、このくだり。

小学生と話している僕が「引き込まれていく」この感じ。

僕は「大人もがんばらなくちゃ」と思い、次のように返す。

「今君が言っていることはとても重要なことで、

社会人になると、難しい文章を読める人はけっこうたくさんいる。

逆に、人の気持ちがわかる、という人は意外と少ない。

一番いいのは、難しいことも理解できて、人の気持ちもわかることができる人。

もし君が今、「自分は難しいことを理解するのは得意だけど、感情を理解することが苦手だ」

と思っているのなら、その強みは伸ばしながら、

人の気持ちを理解することができるようになるといいね」

僕が答えた言葉は、先日のリーダーシップ開発演習で田久保先生が話してくれた

「ロジックはあるのが前提。その上で人をどう動かせるかがリーダーに求められること」

と言う話。

グロービスの学びと、小学生の会話がリンクする、刺激的な瞬間。

そんなことを思っていると、

深夜特急のほうの小学生が話しかけてきた。

「お仕事は何してるんですか?」

「僕の仕事はコンサルタント。いい会社をつくるために、どんな社員を育てればいいか、

というのを社長にアドバイスしているんだよ。

僕がいつも悩んでいるのは、どうやったら若い人が積極的に学んでくれるかということなんだ。

だから、君たちがなぜこういう本を読んでいるのかが気になったんだよ。

急に話しかけてごめんね。ありがとう。おかげで楽しかったです。」

小学生二人が答える。

「いえ、こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました」

そう言って小学生たちは上小田井で降りて行った。

その一部始終を見ていた女子高生二人が互いに言い合っていた。

「いやーイマドキの小学生はすごいわ、勉強になったよ」

うん、僕も勉強になった。

僕がこのノートで伝えたかったのは、

「だから私立小学校に行かせるべきだ」

とか、

「小学生から新書を読むべきだ」

とかそういうことではもちろんない。

僕が感心したのは、

たとえ親や塾の先生から与えられた本でも、

それを「与えられたから」という理由でただ読んでいるのではなく、

そこから「何を学びとるか」というのを彼らが自分の言葉で表現していることだ。

それはまさに、自分の頭で考え、表現するという力。

今の若手社員や大学生に一番足らない力。

僕は今日、彼らとの会話がとても楽しかった。

もっと話したいと思った。

「君は今、何に熱中しているの?」

同じ質問をして、引き込まれるような答えをしてくれる

若手社員や大学生には、残念ながら、なかなかお目にかかれない。

思えば僕もあんな小学生だったかもしれない。

さすがに新書は読まなかったけど、

1989年~90年に小学6年生だったから、

チェルノブイリ事故だとかベルリンの壁崩壊だとか、

そういうことを塾の社会の授業で学んで、

その事件から感じたことを、自分の言葉で語っていた。

そして自分の言葉で語る僕に、真剣に向き合ってくれる仲間や大人がいた。

(塾の先生や、友達)

僕が社会に出てから、

年上の人にも、上司にも、物怖じなく自分の考えを話すことができたのは、

思うに、この小学生の時の体験が大きく影響しているのだと思う。

考える力を育てるために大事なのは、難しい本を読ませることではなく、

「自分が感じたこと、考えたことを、自分の言葉で話す場を与え、

その言葉にきちっと向き合ってあげること」

だと思う。

三谷宏治さんが、「ヒマとビンボーとお手伝い」を子育てのキーワードに挙げていらっしゃるのも、

知識や情報を詰め込むのではく、

自分で考えて行動させる場を与えることが重要だと思ってらっしゃるからだろうし、

小学生向けに「ルークの冒険」という発想力を育てる本を出版したのも、

いかに小さい時から「自分の頭で考え、話す」という力を育てるのが重要かを認識されたからだと思う。

自分の子供に、深夜特急や新書を読ませるかどうかはわからないけど、

「自分の頭で考え、話す場を与え、その言葉にまっすぐ向き合う」ということだけは絶対にしよう、

と心に誓った。

そして、「なんだこの変なおじさん」と思われたかもしれないけど、

話しかけてよかったなと。

意識の高い小学生は、そこいらの大学生より、よっぽど優秀だ (via lemp3)

 友達四人といて、会話なし。それぞれ読書。
 何が何でも友達優先とか、小学生ならもっと元気よくとか言うつもりはないけど、なんだかモヤモヤしてしまう。
 読書は一人の時間にすればいいじゃん

(via thinkeroid)

Dec
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肛門を閉めるというのは、精神的にも安定した状態を作るのに必要です。

しかし、この肛門を閉めることが免疫力を非常に高めるのです。これが納得できる事実があるのです。

はたから見たらどんなにひどい状態であっても、肛門を閉めて得られる免疫の活性化する部位が非常によく働いていると、助かる可能性が非常に高くなるのです。

教科書的な発想ではでてこない部位なのです。ですが、末期癌と言われて助かった人達も、この免疫部位が非常に働いているのです。この部位の働き具合が命の分かれ目なのです、と言っては言い過ぎでしょうか。

老化して80才とか90才とか100才とか120才とかになると、この部位の働きは低下してきます。そして寿命ということになるらしいのです。

長生きしたいと思ったら、まず肛門を四六時中閉める事です。忘れてしまうことがありますので、心を引き締めて肛門を閉める!

別に癌ばかりに効果があるわけでなく、病気全般に効果があります。

肛門を閉めて税金を取られるとか、お金が必要ということはないのです。すべてタダです。無料なので効果が薄いと思ったらとんでもないことです。

眠っている時以外は閉めることです。気を抜くとゆるむので、また閉めなおすということの繰り返しです。

癌になったら肛門を閉めること (via pipoca-2011)

体幹とかインナーマッスルとかとの関係を調べてみると、何かおもしろい知見が得られそうな気もする。根拠はない

(via scsa)

(Source: sanpotekuteku, via playwith)

Nov
30th
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私は1926年、ラサの北ダムシュンの遊牧民の家に生まれました。

7歳になったとき、ラサのセラ僧院に送られました。
59年に中国が来るまでずっとセラ僧院で勉強や仕事を続けていました。
中国が来た時には私はセラの一つの学堂(セラ・ツェ)の会計係り(チャンズー)をやっていました。

中国軍が攻めてきたので仕方なく我々は抵抗したのです。
もちろん、我々は僧侶であり、一般的には相手に害心を抱いてもいけないことは知っているが、あっちが仏教を破壊するために来たのだ、殺しに来たのだ、守ろうとしただけだった。
しかし、全く手に負えなかった。
法王がインドに逃れられた後、銃弾と砲弾が雨のようにセラ僧院に降ってきた。
逃げるしかなかった。

ラサの東、ペンボ・ルンドゥップまで来て中国軍に逮捕された。
高名なリンポチェも数人その時一緒に逮捕された。
毎日<教育>と言う名の精神的拷問と肉体的拷問が続いた。
2か月後に解放され、村に帰された。

ダムシュンに少しいたが、僧院のことが気になり間もなくしてラサに向かった。
セラ僧院は閉鎖され、私の僧房は無残に破壊されていた。
そのまま、ラサにいたが、自分は嘗てセラ僧院の会計係りであっと、ということで中国から目を付けられていた。
それでなくても、60年から数年の間は、どこにも食べるものが無く、多くのチベット人が餓えて死んでいった。
私もどうやって生きていたのか不思議なほどだが、みんなが助けてくれて生き延びたのだ。

67年、インドに逃れようとした。
しかし、ギャンツェの近くのタンというところで捕まってしまった。
グツァ刑務所に送られ尋問と拷問を受けた。
自分はセラ僧院の会計係りであっと、ということで7年の刑を言い渡された。
刑期が確定した後ウディドゥ刑務所に送られた。
ウディドゥ刑務所の第一監房という政治犯専用の監房だった。

ちょうど、文化大革命が始まったころだった。
毎日、朝は毛沢東語録を暗証させられる。間違えば殴られる。
その後、労働だ。冬と夏には石切場で働かされ、春と秋にはレンガ工場で働かされた。
常に厳しいノルマが課され達成されないときは、リンチされた。

夜は、今度は中国の新聞の勉強をさせられる。
いつも、アメリカ、日本、ロシア、インドの悪口ばかりだ。敵だ、粉砕せよ、ということばかりだった。

食事は全く足りなくて、みんな常に腹を空かせていた、春になり外に草が生えるようになると、みんな競って何でもいいから口に入れていた。

僧トゥプテン・ツェリン83歳3度々タムジン(文革中の集団批判集会)が刑務所内でも行われた。
ここの時はほぼ全員、死ぬほど殴られた。

グループごとに分かれ、仲間を一人一人吊るしあげるのだ。
何でもいいのだ、やらなければ自分がやられる。
逆らえば、死刑も有り得る。
実際私がその監舎にいた間に同じ監舎100人の囚人の内8人がタムジンの結果死刑にされたのだ。
理由というのも、仕事をさぼった、共産党を十分賞賛しない、ダライ・ラマ法王を非難しない、とかいうものだった。

私はほとんど観念していた。
生きて監獄から出れるとは思っていなかった。
ダライ・ラマ法王のお陰でここまで生き延びてきたが、これも私の前世からの因果の結果だ。
ただ、今は耐え。
死んでのち観音の浄土に生まれ変わりますようにと祈るばかりの日々だった。

7年後1972年に刑期は終わった。
しかし、その後もさらに7年間、シャモ(黒帽・反革命主義者の印)とされ、同じウディドゥ刑務所の下にある労働改造キャンプで同じように、石とレンガの仕事をさせられた。

79年に解放された。
毛沢東が死にそのころから、少しだけだがチベットには束の間の自由が戻ってきた。
農地と牧草地がもとの持ち主に返された。
僧院も再開され始めた。
しかし、表向きはそうだったが、実際にはチベット人にはほとんど何も権利が与えられていなかった。

そんな中1987年友人であった、ユーロ・ダワ・ツェリン・リンポチェとともにイタリアのテレビに出ることになったのだ。
それは、イタリアに逃げていた仲間のゲシェがイタリアから撮影班をラサまで連れて来ており、彼にインタビューに出るよう頼まれたからだった。

リンポチェと共に、チベットの現状、監獄の現状について話をした。
もちろん、逮捕されることは判っていた。
それでも顔を出したのだった。

数か月後の7月、逮捕された。
我々の解放をデブンの僧侶たちがデモで訴えたという事は、後にダプチ刑務所に送られ、仲間から聞いて初めて知った。

最初、シトゥ刑務所に留置され尋問、拷問をうけた。
12月にユーロ・リンポチェには刑期10年、私には6年の刑が言い渡された。
ダプチ刑務所に送られ、そこで6年を過ごした。
ダプチ刑務所がどんなところかという話は、他にこのルンタ・ハウスには沢山の経験者がいるから彼らから聞いて知っているだろうから、詳しくはもう話さない。
ひどいとこだった。

僧トゥプテン・ツェリン83歳493年に出所した。
僧院に帰りたかったが、それは許されなかった。
ラサにいたがまた、見張られる毎日だった。
生活にも窮し、97年インドに亡命することを決心した。

ダム経由で国境を越えた。私はその時すでに71歳だった。
険しい山道では度々地元のシェルパに背負ってもらった。
6日間歩いてその後バスでカトマンドゥまで今度は無事に逃げることができた。

ダラムサラに来て法王にお会いでき、もういつ死んでもいいと思っている。
今は静かにチベットに自由が戻ってくる日を願い、祈るばかりだ。

中国はチベットを解放した、進歩させたと言うことばかり言っている。
だが、我々は何かから解放してくれなどの頼んだこともないし、必要もなかった。
昔はもちろん、僧院に入るのも自由、商売をするのも自由だった。
どこに行くにもパスなど必要なかった。
誰であろうと、インドに巡礼にいくことも、ネパールに行くことも、中国に行くことも自由だった。
遊牧民はもちろんどこへでも行けた。
地震があっても家が壊れることもなかったしだ!
今はどうだ、遊牧民は牧草地を取り上げられ、道端で酒を飲んで暮らしている。

中国は、チベットは嘗て乞食ばかりだったという。
確かに乞食のような者もいた。
仕事が無く、食を乞う者はいた。
みんなそんな人にはツァンパを与えた。
しかし、乞食を特別下に見たり、汚れた者だなどとは思わなかった。
誰だって、そういう境遇に会うことはあるからだ。

しかし、今はどうだ、私がラサにいたころ毎年特に旧暦4月にはラサは乞食で溢れるほどだった。
パルコルには途切れることなく乞食が列を作って布施を待っていた。
本当にみじめで汚い乞食ばかりだった。中には中国人もいた。
中国が発展を自慢するなら、なぜこんなにも乞食が多いのか?

毎年こんなにも沢山のチベット人が今もヒマラヤを越えてインドに逃げてくるのはどうしてなのか?
満足で豊かな生活がチベットにあるならどうして、わざわざ危険な道を辿ってチベット人は逃げてくるのか?
中国ほどうそつきな国はないと思う。

監獄の話をしよう。
中国はかつてチベットの監獄ではひどい拷問が行われていたという。
だが、私は自分で見て知っているのだが、中国が来る前にはラサには二つの監獄しかなかった。セラ僧院の近くのナンツェ・シャとポタラの下のシュー・レグンだ。
しかし、この二か所を合わせても囚人は15~20人ぐらいしかいなかった。
全員殺人犯とか窃盗犯だった。
監獄の監視は厳しくなく、囚人も結構自由に出入りしていた。
拷問道具を中国が見せるが、あれは中国から持って来られたものでチベットではただの見せものだったものだ。

私は毎日RFAのニュースを聞いている。
本当に悲しいニュースばかりだ。
チベットの若い者たちは本当に勇気があると思う。
この世は無常だ、私も老いた、今はもう法王を信じて時が来るのを待つしかない。

Nov
26th
Mon
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34 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/11/12(月) 18:31:24.14 ID:jDe3BZoPO
典型的な老害のご都合主義だな
若者を育て上げる気はさらさら無く利用する事しか考えてない
日本には老害が増えすぎてるなあ
Aug
20th
Mon
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nandato:

https://twitter.com/sleep_sheep2010/status/237046771778473984



日本の政治家もよくやる手だなあ

nandato:

https://twitter.com/sleep_sheep2010/status/237046771778473984

日本の政治家もよくやる手だなあ

(via kamma-jp)

Aug
11th
Sat
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バスクリン社員が教える究極の入浴術

疲れがとれる入浴法

■疲れにくい体をつくる入浴法
 ・温度40℃、肩までどっぷり浸かる 
 ・入浴時間はたっぷり20分

■朝の眠気をすっきりさせたい入浴法
 ・温度43℃の熱いお湯でシャワーを浴びる
 ・交感神経が優位になり、活動的になれる

■満員電車で疲れきった夜の入浴法
 ・精神的な疲れや足の疲れには、温度39℃(冬は40℃)で15分間
 ・最初の5分は全身浴で、あとの10分は半身浴で足の疲れをとる

■集中力を高めたいとき
 ・温度42℃の熱めのお湯に3分間だけつかる
 ・冬場は全身浴で、夏場は半身浴

■デスクワークで疲れたとき
 ・温度41℃と少し高めで、肩までつかる
 ・入浴中に簡単なストレッチをしてみる

■つらい疲れ目には
 ・温度39℃(冬場は40℃)で15分間つかる
 ・最初の5分は全身浴、10分は半身浴でまぶたの上にタオルを置く

■夜遅いとき
 ・温度39℃とぬるめで、入浴時間は10分と短く
 ・体温が下がると人は眠りやすいので、すぐに寝るときはちょっとだけ身体を温める

Jun
24th
Sun
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dunderklumpen:

kittehs vs jeans: 1 - 0

I BLED FOR THIS

(via nuremochi)

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dunderklumpen:

kittehs vs jeans: 1 - 0

I BLED FOR THIS

(via nuremochi)

Jun
4th
Mon
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 ファンにとっては有名な話ですが。

 歌手、さだまさしさんは昔、日露戦争を舞台にした映画「二百三高地」の主題歌「防人の詩」を担当しました。で、その映画が大ヒットしたのですが、それによって一部新聞から「さだまさしは右翼的だ」という評価を受けます。

 理由は当時の日本の雰囲気では戦争映画で、しかも日本が勝った戦争の映画はけしからんと、こういう雰囲気があった。そのため、映画を見ないでそのイメージだけで映画を、ひいては楽曲を作った歌手まで右翼的だと、まあ、馬鹿馬鹿しい思想ですが。
 
 そしてまた、本人の意図しない、例えば緑黒い街宣車がよくこの歌をスピーカーで大音量で流していたことも相まって、さだまさしは右翼歌手、というレッテルを貼られる。

 また、太平洋戦争の沖縄戦を舞台にした映画「ひめゆりの塔」の主題歌「しあわせについて」を歌った時は今度は「左翼歌手」と呼ばれて苦笑したそうで。

 これ以外にも「関白宣言」が大ヒットした時には女性蔑視論者、「雨やどり」がヒットした際には軟弱歌手と、間逆の評価を歌によって付けられる。

 しかし、熱心なファンにとっては「それら全てが同居、共存する歌を作れる人」であることを知っています。

 長崎で長年、戦争反対、平和への祈りのコンサートを続ける事と、靖国神社にお参りしたり、野球の始球式で国歌を独唱する彼の行動は何の矛盾もない。

 むしろ、○○の行動をしたから右翼、××の言葉をしゃべったから左翼、なんてのがおかしな考え方なんだと思います。

 最後にその件に関してさだまさしさんのコンサートトークより
「いろいろ周りから言われましたが、何をしようと俺は俺だ、ということなんです」

真逆の評価を受けた人 - FANTA-G - 楽天ブログ(Blog) (via toronei)

「関白宣言」にはその後の歌があって、その名も「関白失脚」ww

あの人はバランス感覚が優れてるよね。

(via bbk0524)

(via dotnuke)

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timeofyoursong:

i missed my durr bro! (Taken with instagram)

timeofyoursong:

i missed my durr bro! (Taken with instagram)

(via meinekatze)